
芸術と文学、歴史と人々の今の暮らしが溶け合う街
サンジェルマン・デ・プレに滞在する
2026年5月、
長女と二人、パリの街をただひたすらに歩いた。
重ねた足跡は、実に15万7000歩。
歩くスピードだからこそ見えてきた、
レイヤーのように重なる街の風景。
偶然に導かれるように出会った、
美しい瞬間の記録です。
芸術と記憶が息づく、パリの小さな隠れ家へ
旅の初めに滞在したのは、左岸、サンジェルマン・デ・プレ地区の小さなホテル、Hotel La Louisiane(ホテル・ラ・ルイジアーヌ)。多くの芸術家、文学作家、哲学者やジャズミュージシャンが滞在したことで知られる、歴史あるホテルです。
旅の日程が決まると真っ先にこのホテルをチェックしたのですが、すでに満室。諦めて他のホテルを探していたところ、後になって最初の2日間だけ空きが出ているのを見つけ、予約を入れることができたのは幸運でした。
一歩足を踏み入れた瞬間、この場所がただの宿ではなく、パリの芸術とカルチャーの記憶が今も呼吸を続ける特別な空間だということを実感します。

ロビーの壁には、かつてこの場所を愛した名だたる異才たちの名前が連なり、美しい螺旋階段の白壁はたくさんのアート作品で彩られ、踊り場の床にはランボーの詩の一節がありました。後で知ったのですが、「芸術家たちが泊まり、作品を残していく」という文化が根付いていたのだそう。

どちらかというと簡素で、どこか古びた空気。けれどそこには、長い時間をかけて染み込んだ文学や音楽の気配が宿っているのです。
最低限のものがシンプルに、でもセンスよく置かれた小さな部屋は、まるでパリの片隅にあるアトリエのような雰囲気。部屋のWi-Fiのパスワードが、ある伝説的なジャズアーティストの名前だと知ったとき、思わず娘と笑ってしまいました。なんて粋な演出だろう。

部屋の小さなバルコニーは、セーヌ通り(Rue de Seine)とビュシ通り(Rue de Buci)が交わる、エリアの特等席のような場所に面していました。21時を回っても白昼のような光が残る5月のパリ。向かいのカフェテラスからは、心地よいざわめきが夜遅くまで聞こえていました。

サンジェルマン・デ・プレの静かな朝と、歴史あるカフェのバゲット
賑やかな夜とは打って変わって、サンジェルマン・デ・プレの朝の通りは澄んだ静けさに包まれていました。
まだオープン前の静かなカフェテラス。焼きたてのバゲットを抱えて歩く人。どの角を曲がっても、石畳の小道と古い街並みがどこまでも続きます。
小雨の降るそんな朝に立ち寄ったのが、こちらもやはり多くの画家や文豪に愛された歴史あるカフェ「La Palette(ラ・パレット)」でした。クラシカルな木目と絵画が印象的な、落ち着いた内装。窓際の席に座り、カフェで過ごす人たちを眺めながら、コーヒーと焼きたてのバゲットと”特別なバター”、そして、マッシュルームのオムレツをゆっくりいただく。そんな何気ない時間が、とても贅沢に感じられました。

この辺りは、今も個性的な古本屋や、古いアートピースを扱う小さなお店がそれこそたくさん隠れているエリアです。今回は古本屋巡りまでは叶わなかったけれど、通りを歩くだけで、ここが芸術家や知識人たちを惹きつけてきた理由を肌で感じます。


華やかな右岸のカルチャーとはどこか一線を画す、知的で、少し反骨精神を秘めたような左岸の空気。サンジェルマン・デ・プレは、観光地でありながらも、こうした歴史と文化、そして人々の日常が自然に混ざり合う、とても魅力的な、その後何度も戻りたくなる街でした。
魂が宿る、本物のパリを感じて
朝の散策を終えて、荷造りのために再びホテルの螺旋階段を上がりながら、改めてこの場所の魅力に気付かされます。さっきまで歩いていたサンジェルマンの街の、深く心地よいカルチャーの全てが、このホテルに凝縮されているように思えたからです。
ホテル・ラ・ルイジアーヌは、完璧な快適さを追求するホテルではありません。けれどここには、便利さや豪華さだけでは叶わない、ホテルの魂のようなものが確かに宿っています。
ロビーで誰かが話すのが聞こえました。
「このホテルが長きに渡って守られてきたのは、Blanchot一家の努力があったからだ。」


きらびやかな観光都市としてのパリではなく、本物の、血の通ったパリの気配に触れたいのなら、これほどに贅沢な場所はありません。
かつての芸術家たちがこの場所でインスピレーションを得たように、私たちにとってもパリの文化の奥深さを五感で受け止めるための、大切なプロローグとなりました。
娘と歩いたパリの記録
偶然に導かれるようにして出会った、美しい瞬間について書いています。
→ 「迷い込んだ路地の先で。歩く速さだから出会えた、パリの景色」
今後は、パリの旅で感じたことについて、テーマごとに少しずつ掘り下げていきたいと思います。よかったらお付き合いください。
